2011-12-25

アフガン流ミーティング

どうも、アフガニスタンでは1日に3、4件もアポをこなすのは難しいらしい。
午前中1件、午後1件がせいぜいだ。

今日なんて、10時から打ち合わせが、終わってみれば3時近く。
といっても、その間ずっと真面目に仕事の話をしている訳ではない。。。

例えばこんな具合。

10時~11時半 打ち合わせ

ぜひお昼ご飯を食べていって、と誘われる。

11時半~13時 お茶&雑談

まだ、ご飯が出てこない。(笑)
仕方がないので、一緒にテレビを見始める。

14時 お昼ご飯!

15時 帰宅

というわけ。

さすがにこんなに長居しては迷惑だろうと、途中何度も帰ろうとしたのだけれど、「何言ってるんだ、気にしないで。」とそのたびに引き留められる。

偶然知り合っただけなのに、なんでこんなに親切なんでしょう。
「袖触れ合うも他生の縁」とはイスラム教では言わないでしょうが、ご縁を大切にしているのかも。
感謝。

ソーラーパネルがテーブルに!

2011-12-24

何もない、じゃなくて。


カブールに来て約4週間。

この間、友人の紹介などで(いざ聞いてみると知り合いがアフガニスタンで働いているよという友人が結構いるものだ。)、この国で働く何人もの外国人に会う機会があった。日本人だけでなく、アメリカ人、イギリス人、オーストラリア人等々。彼らはたいてい国連機関か自国政府関連機関、あるいは軍に勤務している。オフィスも住居も厳重な警備で守られ、外出は極度に制限され、仮に外に出る場合は防弾車で移動する。食料・日用品は誰かに買ってきてもらうか、所定のスーパーマーケットで20分間の時間制限付きで済ませる。そして、6週間に一度などの間隔でリフレッシュ休暇が与えられ、アフガニスタン国外で約1週間過ごす。

私の置かれた状況といえば、大違い。
小さなベンチャー企業のたった一人の現地駐在員。社内の誰も、アフガニスタン(あるいは他の危険地域・紛争地域)での生活を知らない。最初は移動するにも車がなかったし(防弾車どころではない)、自分が食べるものは自分で調達しなければならない。ゼロからのスタートに
「うーん、私には何もない」「こんな状態で大丈夫だろうか」
と思わずにいられない。周りからも心配される。しかも予算もないので、高額に設定された外国人向けの各種サービス(車、住居、保険、、、)など、とてもじゃないが手が出ない。

でも、モノは考えよう。
何もないおかげで、私は他の多くの外国人が見ることのないアフガニスタンを見ている。ジャーナリストの目に留まらないような、名もなき人達の日常に出会っている。

大小無数の電気屋が両側に軒を連ねる1本の通り。
厚さ20センチもの札束を持った両替商が1メートル間隔で立ち、一番奥の広場ではまるでシカゴ先物市場のように男たちがぎゅうぎゅう詰めに立って叫んで取引をしている、アフガニスタンの外国為替市場(モチロン非公式)。
中国製の衣類、はたまた中古の革靴(女性用ブーツは結構おしゃれで私も一足購入)が並ぶ青空市場。
古いけれど清潔感のある、商店街の一角の街の歯医者さん
ビリヤードを楽しむアフガニスタン軍の若者
ロシアのポップミュージックに合わせて踊るおじさんたち
私が外国人だと気づいて、よく来たわねー!と抱きしめキスしてくれたおばさん

中には、ここの通りのケバブ屋さんより、あっちの角のケバブ屋さんのほうがおいしい、とかいう他愛のない情報まで含まれるわけだが。

見方によっては恵まれない待遇。でも、モノの有る無しで優劣が決まるわけではない。どちらに価値があるかという問題でもないと思う。例えば国連で働く人が体験するアフガニスタンと、私が体験するアフガニスタンは、単純に違う。でもどちらもアフガニスタンであることに変わりない。

私の仕事は市場開拓。地元の人たちがどんな暮らしをしているのか、自分の目と耳と足で知らないことには始まらない。だから他の在アフガン外国人に比べていろんなものが不足しているような状態が、私には、却って好都合なのだ。

要は自分の目に入ってきたモノゴトから、何を受け止めるか。そこから何をするか。これからだ。



2011-12-17

今日は今日、明日は明日


アフガニスタンに来て3週間。
「いいね!」と思うときもあれば、時折ストレスを溜めてしまうのが、先の読めない(というか読もうとしない)時間の流れ。

私が今までに出会ったアフガン人たちは、そのときの出会いをとても大切にしているように見える。そのとき、その場に居合わせた者同士でとことん楽しむ。熱く語り、遊び、笑い、(男同士で)抱き合い、さんざん盛り上がる。明日のことは明日にならないとわからない。だから今を思いっきり生きようよ、と。私はそんな彼らが大好きだ。

一方で、これが仕事になるとストレスが溜まる場合が多い。
アポがアポにならない。つまり、アポは守るもの、という感覚があまりないようだ。むしろ、予定は変わるもの、が前提らしい。
何日、何時に、と言う約束を交わしても、いつの間にか相手が予定を変えてどこか違うところに行ってしまう。時間を決めようとしても、その日の朝に話して決めようと言って先延ばしにし、結局当日連絡が取れない、ということさえある。
「何事もなるようになる(逆も然り)」と思っているから、アポが実現しなくても気を悪くするわけでもないらしい。だから、次もまた同じことが起こるという訳。

インドでも思い通りにならない時間管理に戸惑い、ストレスも溜めたけれど、ひょっとするとアフガニスタンはもっと大変かもしれない。

何が違うのか。

まだ、印象でしかないけれど、、、

日本や欧米だと、仕事とプライベートが明確にわかれている。無理なお願い、急なお願いも、親しい友人にならできても、仕事相手には遠慮する。ここアフガニスタンでは、仕事も人の縁、血縁、地縁で成り立っている。だから人間関係が仕事とプライベートでだいぶ重なっている。お互い信頼関係(というか、明日も明後日も続く関係)があるから、今日が無理でも気にしない。予定が変わってもお互い様、ってところだろうか。

私一人でストレスを溜めるのもバカバカしいので、適度にアフガン流を取り入れた方がよいのだろう。でもまあ、ゆるやかな時間の流れる土地である。


カブールの女性たち



アフガニスタンに来るにあたり、心配だった事の一つは、女性の社会的地位。

タリバン時代、女性はブルカを被り、男性と一緒でないと町を出歩けなかったと聞く。果たして今はどうなっているのか?私は、勤務する企業にとって唯一のアフガニスタン駐在員。たった一人の人材が女性であることが、会社にとってもハンデになるのではないか?

今回インド経由でアフガニスタンに入ったのだが、実は、デリー空港の搭乗口で、既に私の緊張はピークに達していた。周囲の女性たちは、みなスカーフ(というには大きすぎるほどの布)をまとい、男性に付き添い(女性だけのグループなどいない)、時折ひそひそと低い声で(そしてもちろん私には理解の出来ない言葉で)話をしているから。うーん、私はやっていけるのだろうか。。。

幸い、というべきか、カブールに着いて数日で私の不安は消えていくことになる。

アフガニスタン人の友人(男性)が言った。
「心配しなくていい、アフガニスタン人は女性を大切にするよ。」
確かに、私や他の女性が、交通量の多い道を横断できずに右往左往していると、スピードを落として、渡らせてくれる。道を尋ねた警察官が、あとから私を追いかけてきて、やっぱりこっちから行った方がいいと案内しなおしてくれたこともある。

さらに、地元の銀行に口座開設に行って驚いた。窓口の大半が女性行員なのだ。ちなみにお客さんは95%男性。ほとんどが20代半ばと思われる女性行員たちが、てきぱきと仕事を片付けていく。中には、無理難題を言ってきたらしい男性客と喧々諤々の言い合いをして、相手を負かしてしまった女性も。何とも頼もしい。

街を見ていると、女性の一人歩きも結構いる。もちろん男性の方が圧倒的に多いのだが、女性が一人で歩いていても変な目で見られることはない。

服装も結構おしゃれである。洋服とコーディネイトした、色とりどりのスカーフをふわりと頭に巻いている。スカーフの縁から髪の毛が見えている人が多いから、イスラムの国々の中ではわりと緩やかな方なのだろうと思う。


さらに、なんと洋服屋さんには膝上丈のスカートも並んでいて、若い子たちに人気らしい。とはいえ、足を見せることはできないので、ズボンをはいて(レギンスはぴったりしているからNGらしい)、その上にスカートをはいて歩いている。


ブルカを被っている女性もいる。2割くらいだろうか。ただ、驚いたのは、ブルカの裾からチラリと見える靴が、とってもかっこいい黒のハイヒールだったり、ラメ飾りのついたサンダルだったり、結構おしゃれなのだ。さらにほんの少し見える洋服もピンク、オレンジ、ブルーなど鮮やかな色が多い。


さらにさらに、ショーウィンドウには派手なドレスが並んでいる。
結婚式では、花嫁だけでなく、参列者の女性たちもこういうドレスで着飾るのだとか。(ただ、結婚式は男女別々の会場で行われるため、男性がドレス姿の女性たちを見る機会はないのだそうです。)


女性のおしゃれ心はどこに行っても健在よね!と、私もスカーフ屋さんにばかり目が行ってしまう今日この頃である。

追伸:とはいえ、こうした女性にとっても自由な雰囲気は、大都市カブールだけなのだろうと推察する。地方に行く機会がめぐってきたら、ぜひその違いについて書きたいと思う。