2011-12-17

カブールの女性たち



アフガニスタンに来るにあたり、心配だった事の一つは、女性の社会的地位。

タリバン時代、女性はブルカを被り、男性と一緒でないと町を出歩けなかったと聞く。果たして今はどうなっているのか?私は、勤務する企業にとって唯一のアフガニスタン駐在員。たった一人の人材が女性であることが、会社にとってもハンデになるのではないか?

今回インド経由でアフガニスタンに入ったのだが、実は、デリー空港の搭乗口で、既に私の緊張はピークに達していた。周囲の女性たちは、みなスカーフ(というには大きすぎるほどの布)をまとい、男性に付き添い(女性だけのグループなどいない)、時折ひそひそと低い声で(そしてもちろん私には理解の出来ない言葉で)話をしているから。うーん、私はやっていけるのだろうか。。。

幸い、というべきか、カブールに着いて数日で私の不安は消えていくことになる。

アフガニスタン人の友人(男性)が言った。
「心配しなくていい、アフガニスタン人は女性を大切にするよ。」
確かに、私や他の女性が、交通量の多い道を横断できずに右往左往していると、スピードを落として、渡らせてくれる。道を尋ねた警察官が、あとから私を追いかけてきて、やっぱりこっちから行った方がいいと案内しなおしてくれたこともある。

さらに、地元の銀行に口座開設に行って驚いた。窓口の大半が女性行員なのだ。ちなみにお客さんは95%男性。ほとんどが20代半ばと思われる女性行員たちが、てきぱきと仕事を片付けていく。中には、無理難題を言ってきたらしい男性客と喧々諤々の言い合いをして、相手を負かしてしまった女性も。何とも頼もしい。

街を見ていると、女性の一人歩きも結構いる。もちろん男性の方が圧倒的に多いのだが、女性が一人で歩いていても変な目で見られることはない。

服装も結構おしゃれである。洋服とコーディネイトした、色とりどりのスカーフをふわりと頭に巻いている。スカーフの縁から髪の毛が見えている人が多いから、イスラムの国々の中ではわりと緩やかな方なのだろうと思う。


さらに、なんと洋服屋さんには膝上丈のスカートも並んでいて、若い子たちに人気らしい。とはいえ、足を見せることはできないので、ズボンをはいて(レギンスはぴったりしているからNGらしい)、その上にスカートをはいて歩いている。


ブルカを被っている女性もいる。2割くらいだろうか。ただ、驚いたのは、ブルカの裾からチラリと見える靴が、とってもかっこいい黒のハイヒールだったり、ラメ飾りのついたサンダルだったり、結構おしゃれなのだ。さらにほんの少し見える洋服もピンク、オレンジ、ブルーなど鮮やかな色が多い。


さらにさらに、ショーウィンドウには派手なドレスが並んでいる。
結婚式では、花嫁だけでなく、参列者の女性たちもこういうドレスで着飾るのだとか。(ただ、結婚式は男女別々の会場で行われるため、男性がドレス姿の女性たちを見る機会はないのだそうです。)


女性のおしゃれ心はどこに行っても健在よね!と、私もスカーフ屋さんにばかり目が行ってしまう今日この頃である。

追伸:とはいえ、こうした女性にとっても自由な雰囲気は、大都市カブールだけなのだろうと推察する。地方に行く機会がめぐってきたら、ぜひその違いについて書きたいと思う。



2011-11-30

カブール・ライフ開始

ついにカブールでの生活が始まりました。

遠くに見える山並みはすでに白く雪化粧。
カブールでも近いうちに雪が降るのでしょう。。。
















カブールに来たのは今回が初めて。
ニュースで時折映る、爆発やテロの場面しか記憶になく、一体実際の生活はどうなっているのだろうと、ドキドキしながらやってきました。


中には入っていませんが、こちらが最近できたGULBAHAR CENTERというショッピングモール。

















といっても、入口は高い壁と検問所で封じられているので、外からはどんなお店が入っているのか全くわかりません。。。

もちろんこんな近代的な建物は少なくて、よくある街並みはこちら。
乾燥しているので埃っぽいです。
















という感じで、おいおいカブールの様子もご紹介できたらと思っています。

2011-11-10

1年ぶりの日本、その印象

1か月も日本にいると、あっという間に日本の感覚に戻るものです。

駅のホームで、「うわっ、整列してる!」と驚いたり、
あちこちに溢れる案内表示に「うるさい!」と思ったり、
店員さんの手際の良さに感嘆したり、
回転寿司に感動したり(?!)、
そんな細かなことが、良くも悪くも長年の慣れのせいか、あっという間に当たり前で、心地よくなってしまう。

でも、忘れちゃいけないと思う違和感がひとつ。
それは、先月、1年ぶりに成田に降り立ったときに感じた停滞感。
成田から埼玉の実家までの道のりで、国道沿いの店、住宅を見て感じた、不安。

成長著しい中国・インドの、ちょと乱雑だけど、熱気溢れる街角とは明らかに異なる。
落ち着いたロンドンの街並みとも違う。

なんというか、世界の流れから身を引いてしまい、「いいのよ、私はこれで。」と自分から諦め、周りを遠ざけているような空気。

食料やエネルギーの自給自足には賛成だし、
地域コミュニティーのつながりは大切だと思う。
地元に戻って、あるいは田舎にIターンして、家族や隣人を大切に暮らしている人を見ると尊敬もする。

だけど、帰国して感じたのはそれとは違う、もっと閉じている空気。
心配です。
これからの世の中、今まで以上に世界とつながっていくことが輸出できる資源のない日本には大切になってくると思うから。

成績優秀だけど、挨拶も笑顔も返してくれないひとは、その逆のひとより、どこか遠く感じてしまうもの。特に、新興国のハングリー精神ばりばりの、押しの強い人たちと一緒になると、存在感がなくなりますね。

前者のような日本にはなってほしくないです。(すでに成績優秀でもない、かも?)

自分から声をかけるような、気遣いの言葉をかけるような人・国でありたい。

・・・とムンバイで夕日を眺めながら思いを巡らせたのでした。


2011-10-11

自分を信じられるか


この一年間は何だったのか。

結局のところ、私にとってそれは「自分自身との対話」に尽きた。

年間10名のフェローに選ばれた時点で、周囲から見ればかなり成功しているように(そして将来も成功するように)思われるかもしれない。派遣先の1298では、それなりに貢献できたと思う。

にもかかわらず、自分に自信が持てなくて、この先私に一体何ができるのだろうかと途方に暮れた日々。

フェローシップ修了に際し、ジャクリーンから次の言葉をもらった。

“….. That combination of strength and vulnerability will enable you to do great things once you come to fully trust it.  ….. You have so much to give the world, and need only give yourself permission to know how wonderful you truly are….”

私のレポートを読んで下さる方の中には、常日頃世界の現状に胸を痛めていたり、努力家で、向上心が強くて、自分にも何かできないだろうかと真剣に考えていらっしゃる方々がたくさんいらっしゃるのではないかと思う。だからこそ、このジャクリーンの言葉を共有したい。

自分に厳しくし過ぎないでください。完璧を求める必要はない。今のままで大丈夫。自分の強さも弱さも受け入れて、信じて、一歩(一歩だけでいいから)踏み出してみよう、と。

今回インパクト投資、ソーシャル・ベンチャーの経営、インド流コミュニケーション等々、たくさんのことを学んだけれど、自分自身との付き合い方を再発見できたことが最大の学びかもしれない。



2011-09-28

ときには立ち止まる時間を


投資先への派遣期間が終わり、9月初めにニューヨークに戻ってきた。3週間ほどかけて、アキュメン内外の関係者に、投資先での活動を報告。アキュメンのポートフォリオチームと投資家サイドの視点から議論を交わしたり、ニューヨーク大学ビジネススクールの学生たちと語り合ったり、昨年講師として来てくれた方々と再会したりというイベントが続いた。最後の数日間は次のクラスのフェローと共に時間を過ごし、そして9月27日卒業式を迎えた。

インド・1298での時間を満喫していた私にとって、当初は
「ニューヨークに戻らなければいけないのか?インドにもう少し残っていたい。」
というのが正直な心境だった。
現場はここ(インド)なのだから、ソーシャル・ベンチャーを支援するためにも、ひいては社会的インパクト拡大に少しでも貢献するためにも、最後までインドにいるべきではないかと。

しかし、ニューヨークに戻ってみると、インドでは見えなかったものが見えてくるものだ。
他のフェロー達の話を聞くと、自分と似たような経験があったり、全く異なる経験があったりする。また、立場や関心の異なる人に話すことで、自分の経験を様々な視点から見直すこともできる。一歩引いて見ることで、気づかなかった点に気づくこともある。自分が何を学んだのかを咀嚼して、エッセンスを抽出し、整理できる。

ニューヨークでの3週間、私はあまり先のことを考えず(悩まず)、ただフェローやアキュメンスタッフとの再会を楽しむことに集中した。この1年間ひたすら自分の中にいろいろなものを取り込み続けた結果、私自身がとても混乱していたから。いろいろな人と語り合う中で、私の中に渦巻いていた無数の塵が居場所を見つけ、沈殿していった。

2011-09-23

不完全な古代壁画


ニューヨークでメトロポリタン美術館に行った。

エジプトからの出土品が並ぶ一角で、壁に飾られた不完全な壁画が目に留まった。
本来はおそらく壁いっぱいを覆う巨大壁画だが、発掘されたのはいくつかのかけらのみ。
まるで作りかけのジグソーパズルのように、空白が多い。

それを見てふと、これが人生なのかもしれないと思った。
まだすべてのピースが揃っていない。
それどころか全部揃うことなどきっとない。

様々な場面で、ついつい
「これが終わったら答えが手に入る」
「これができたら○○完成」
と、自分に言い聞かせて、希望を持たせているときがある。

しかし、仕事であれ、キャリアであれ、人生であれ、すべてのプランが存在するわけでもなければ、私(あるいは誰か)がプランを描けるわけでもない。
プランもなければ、ゴールもない。
だから、今手持ちのピースが少ないことに不安を感じたり、将来現れるピースに自分が対応できるのか思い悩んでも仕方がない。

できるのは、ただ、今この場所にいる、ありのままの自分を尊重し受け入れること。

そして目の前のことにベストを尽くすこと。

セントラル・パークにて

2011-06-01

「包み込む力」と「分断する力」

このところ、どうも仕事で調子が出なくて、モヤモヤとしていたのですが、何が気になっているのかようやく言葉になりそうです。

インドは、雑多なものがごちゃまぜに存在している場所です。富める者も貧しい者も、ヒンドゥー教徒もイスラム教徒も、ベンツもオートリキシャも、ヨガもジムも、IT産業も、昔ながらの洗濯屋さんも。超高級ホテルも、川岸での沐浴も。。。時間の流れがねじ曲がってしまったかのような、何もかもを包み込んでしまう懐の深さに惹かれます。

一方、企業の組織構造やマインドセット、慣習などを見ると、役割を細分化し、明確に切り分け、互いに干渉しあわないのがよしとされる傾向強し。時には非協力的にさえ感じるほど。放っておくと、各部署・担当者がてんでばらばらの方向に動き出すこともある。特にここ数週間は、人が増えたせいか会社の中の分業度合が高まっていて、微妙に居心地が悪い。

ただ、半年間働いてみて、しかも大勢を巻き込んで結果を出すためには、担当分野を細かく分割して、それぞれが役割を果たすべく邁進する必要がある、というのも経験済み。悪いことばかりではないんですよね。。。


インドという国、そしてインドに住む人たちは、この矛盾とどう折り合いをつけて生きているのだろう?不思議。



「一つにまとめる(包み込む)力」と「細かく分断する力」を右足と左足とするならば、私は今、どちらをどう動かしたらスムーズに前に進めるのか、混乱して、よろめいている状態なのかもしれない。


・・・などと、昨年読んだ『未来を変えるためにほんとうに必要なこと』(アダム・カヘン著 英治出版)を思い出しながら、一人思い当った次第。

次の一歩をどう踏み出したものか、まだわからないのですが。。。

まあ、私のインド人の同僚たちは、おそらく「気にしない、気にしない。Go with the flow」って言うのだろうなあ。