2010-09-20

違いに触れ続けること

今回、成田から北京経由でニューヨークに来ました。
遠回りでしたが、中国経由且つ中国国際航空の便だったためにおもしろい経験をしました。
なんと機内でも、乗り継ぎの北京空港でも中国語で話しかけられっぱなし。。。
しかも一言二言の中国語+ちょっとしたジェスチャーでもコミュニケーションが成り立ってしまうから、いつまでたっても中国語。。。

私は自分のことを「明らかに日本人でしょう?」と思っているので、この体験には驚きました。でも客観的に見たら、大して変わらないのかもしれません。

日本にいるときは、中国・中国人との共通点よりも、違いに目がいっていました。

同じことは、国籍に関係なく個人の関係でもいえることかもしれません。
離れていると、何を共有しているかより、何が違うかに目が行く。
そして、それが不満・不安の種になったり、互いを遠く感じたりする。

久しぶりにアメリカに来て、改めてこの国の多様性に驚いています。これだけ異なる文化・背景の人々が一つの場所に住み、社会を構成していることの不思議。

でもこうして自分と違う人々と隣り合わせで暮らしているからこそ、自分の感覚が研ぎ澄まされるようにも思います。
違いに対しても、共通項に関しても。
違いを感じてこそ共感も生まれてくるのではないでしょうか。

それはきっとある種客観的な共感とも言えるかもしれません。客観的な側面があるから、違いを埋めたり、互いの課題を解決すべく建設的な行動が取れるのかもしれません。

違いに触れ続けることは、常に心地よいこととは限らないでしょう。でも恐れずそういう中に身を置き続けられる自分でありたいと思います。



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